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外には敵がいっぱい!。
だいぶ、歩くのにも慣れてきました。
でも外出するようになった途端、顔が赤く腫れてしまいました。
花粉やら黄砂やら、中国からのなんやら…。
覆面をかぶって外出しないといけないのかしら…。
でも、脚のほうは順調で、そろそろ自転車も大丈夫、車も近くなら大丈夫でしょう~とお医者様から許可がおりました。
でも、今朝、中腰で前に進もうとすると、歩けない??。
先生に聞くと、おなかに力をいれて引き締めながら歩くことって。
今まで、「中腰で歩くとき」、特に何も考えないで動いてましたが、
実は「腹筋」が大切なんだと初めて知りました。
2ヶ月間の闘病生活でかなり弱ってるんですね~。
あらためてインナーマッスル、鍛えなければ!!。バレエにも役立ちますしね、って鍛えてたはずなんですけど~。
また少し回復?
結局、ジュニアクラスは年末からお休みして、新年初のレッスン日に動けなくなったので、そのまま休講が続いてます。
先日、スタジオに一年生の生徒からお手紙が届きました。
しっかりとしたお見舞いの文章とカワイイ絵がいっぱい~。
私と自分、そして一緒にレッスンしてる子達の絵、そして「バレエプリキュア」!!(←オリジナルみたい)。
レッスン再開を楽しみに待っててくれてるようで、感動しました。
動いては少し休んで、また動く…。
ちょっとずつ、休み時間、減らしても大丈夫。
夕べは小学校のPTAの会議があり、
新役員さんとの顔あわせがあるというのでどうしても出席したく…。(2ヶ月休んでしまったし)
旦那に車で送ってもらい、
本来なら最後まで残らないといけないけど、約2時間で「すみません、お先に失礼させてください…」と
お姉ちゃんに迎えにきてもらい…。(ほとんど座ったままだったんですけどね)
病院以外の外出も2ヶ月ぶり??。
かなり疲れましたが、久しぶりにお話できてリフレッシュもできました。
そして、やはり脚!。
ゆっくりしかあるけないのがもどかしい。
しっかり普通に歩けるまで、リハビリがんばろうとあらためて思いました。
その3
入院騒ぎが土曜日で、週あけの月曜日、いつも通院してる整形外科に行くと
「えっ??、入院しなかったんですか?」って。
まず看護士さんたちがびっくり!!、で、先生もびっくり!!。
「選択をせまられ、帰っていいんなら帰りますって、帰らせてもらいました…」。
先生はかなり困った顔でしたが、
「じゃ、毎日、入院してるつもりで、注射に通ってください。で、家では絶対安静ね」。
今考えたら、血液検査の結果が尋常でないにもかかわらず、発熱してるわけでもなく、松葉杖でなんとか歩ける…。
本来、この数値だと、痛くてたまらず、高熱で、手術しないといけないと。
常に痛みはあるけど、我慢できる痛さだったから…。
だから検査した先生は??と思いながら、「自宅療養でも可」と判断されたのだと思います。
家では、朝、昼、晩、ベッドに食事を運んでくれて、枕元のペットボトルの水かなくなれば、入れてきてくれて、
私が起きるのはトイレのみ。
入院してるくらい完璧の絶対安静。
そのかわり、だんな、おねえちゃん、ちびは大忙しです。
雪の日も注射のため、通院です。(これが絶対安静をちょっと妨げてたかしら?)
食欲はあって、体調はいいけど、脚の筋肉はどんどんなくなってきました。
薬のせいもあってか、これでもかってくらいよく寝れるし。。
本当に家族には迷惑かけてました(あっ、まだ迷惑は今も継続中です。)
でも、先生が驚くほど、どんどんよくなってきました。
家族、周りの人のおかげで、家での「絶対安静」ができたのです。
整形外科では筋肉をほぐしていく「リハビリ」も治療と平行して行いました。
3週目に入ると、食事の時くらいは起きて食卓で食べてよいとお許しがでました。
「おねえちゃんのお部屋」のベッドで寝たきり状態だったので、テレビも久しぶりにみたような~。
でも、食事する短い時間で、すぐ疲れてしまうほど体力落ちてましたが、私にしてはすごい進歩。
ちょっとだけ復活の兆しが見えてきました。
2月の末、
大学のテストが終わってすぐ、しかも予定より早く大急ぎで帰らせたお姉ちゃんが
一週間、東京に戻ることになりました。
まさかこんな長期療養になると思わず、三月からバレエも再開?って思ってたので
娘にも1ヶ月手伝ってもらったら十分と思ってましたが、まだ全然「家事」ができず、
本来なら2ヶ月もある大学生の春休みを「1週間」に集約して、また戻ってきてくれると。
晩御飯は旦那が毎日作ってくれるも、おねえちゃんは家事はもちろん、ちびの世話、私の整形外科への通院送迎、全部こなしてくれてました(あっ、これもまた継続中)。
お姉ちゃんがいない1週間はだんなとちびががんばってくれ、お義母さんも手伝いにきてくれました。(ほんと
感謝)
そして3月。
やっと血液検査が通常になり、すこしずつ、家の中を動いてよいと言われました。
すごくうれしかったのですが、これが思うように歩けません!!。寝たきりって怖いな~と。
「再発すると困るから、くれぐれも無理のないよう、すこしずつ」と先生に念を押されましたが、
動こうとも動けず、びっくりするやら情けないやら…。
でもリハビリは「筋力をもとにもどす」べく、ちょっとハードな運動も加わりました。
家でも「運動」の宿題がたくさん出始めてます。
そして、昨日、松葉杖を返却しました。
まだ、ヨチヨチ歩きですが、すこしずつすこしずつがんばります。
その2
整形外科はレントゲンで「骨」はわかるけど、特に異常なし。
で、筋肉を確認するため、MRIを撮るため、大きな病院を紹介され、行きました。
初めてのMRI。
問診で「トンネル等で気分がわるくなったことはありませんか?。では大丈夫です」とこれだけの会話で
検査室へ。
「ちょっとうるさいですけど、ヘッドフォンがありますから~」と。
ところが。
「ええっ~~??、工事中??」、ほどの騒音。
ドンドンドン、カンカンカン。
ヘッドフォンから流れる音楽がかき消され、たまに混じって気持ち悪い音に…。
20分ほどでしたが、ちょっとどころか、かなりうるさかったです。
いつもの先生のところへMRIを持って行き。
「あ~、やっぱり、筋肉が真っ白に映ってますね~。普通は黒く映るんですけど」と。
痛み止めと胃薬を飲みつづけました。
そして、月末。
少しよくなってきてるような感じで、血液検査を受けました。
ところがその結果。
炎症の数値が異常に高く!!。先生がビックリするほどで。
土曜日のお昼だったのですが、「すぐ大きな病院へ行ってください。僕の先輩の先生を紹介します。すぐ行ってください。入院です!!」って。
ちょうど次の日に、春休みにはいった上の娘が手伝いに帰ってくる予定でしたが、
「今日、帰ってきて!!」と連絡。
私は主人と下の娘とそのまま、以前「盲腸」で入院した同じ病院へ。
送ってもらう車の中で、「入院」でいりそうなものをちびに頼みながら…。(盲腸の時を思い出しながら)
整形の先生がいらっしゃるまで、かなり待たされ…。
「盲腸」の手術をしてくださった外科の先生も一緒にいらして…。
まず「腸のエコー、異常なし」。
次にCT。
「あ~、ここね。」と言う感じ。
「どうします~?、入院します~?、家で絶対安静できるなら帰ってもいいですけど~」。
私も主人も「???」。
私、「入院しなくていいなら帰りたいです。絶対安静しますから」と。
先生「主婦が家で絶対安静できますって言われても出来るわけないでしょ?」。
私、「今、東京に行ってる大学生の娘もこっちに向かってるし、絶対大丈夫です!。」。
先生「ま、それなら、通院ということで。ここにしますか?、○○先生のとこ(いつもの)にしますか?。
私は週に2回しかいないけど~」。
かなり高飛車な先生の態度にムッとしてた私は即答で「○○先生のとこで」と言って帰ることに。
自宅での絶対安静生活が始まりました。
今回の病気の反省文 その1
忘れないうちに、今回、かなり悪くなり、家族はじめ、まわりの人々にすごく迷惑を
かけてしまったので、反省をこめて記しておきたいと思います。
去年の年末から、なんか調子が悪く…。
お正月もかなり具合が悪かったけど、なんとか乗り切り…。
上の娘が成人式だったので、バタバタ過ごし…。
翌日、「なんか脚が変だな〜」くらいの症状でしたが、
次の日の午前中のレッスンは着替えが出来ず、洋服のまま。
で、やっとの思いで帰宅すると、脚の付け根が痛くてたまらなくなりました。
午後のジュニアクラスは休講、晩のPTA会議もドタキャン。
一度横になると、起き上がるのに15分〜20分くらい?。
腰が弱く、腰痛で動けなかったこともあったけど、今回は腰じゃない?。
おしりの筋肉がつった??という感じ。でもつったまま治らない?。
二三日で治ると思ってました。
家の中、なんとか、つたい歩きで。
結局、一週間後、旦那にしがみついて整形外科へ。
今考えたら「もっと早く行けば…」ですが、その時、まず何科の病院?、どうやって行く?
で、渋ってしまってました。
案の定、骨の異常でなく、おしりの筋肉の炎症と診断され、松葉杖を貸してもらいました。
長年、酷使してきたからでしょう〜という程度でした。結構バレエで重要な場所ですが、
まさか、そこが痛いと歩けなくなるとは!!。筋肉って大事だと実感。
大きな病院へMRIを撮りに行くと、やはり筋肉の炎症と。
「化膿してないといいんですけどね〜」と先生。
買い物、晩ご飯は旦那が作ってくれたので、あとの家事、ちびに手伝ってもらいながら
安静の日々を過ごしておりました。
月末にはよくなるという感じで…。